リオオリンピック終了後、束の間の休息を得て再度世界王者へ向けて再出発をした。
目標はもちろんオリンピック金メダルである。
しかし次のオリンピックは普通のオリンピックとは別物であり、なぜならそれはここ日本で開催される東京オリンピックであるからだ。
全ての柔道家、いや全ての日本人スポーツ競技者が皆が目指す舞台である。
こんな特別な舞台に立ちそこで金メダルを掲げることが夢であり最大の目標だった。
柔道においてはオリンピック後に競技ルールが変更されることがあり、今回もルールが変更された。
そのルールにいち早く対応するためにも原沢らしい愚直な努力の日々が始まった。
しかし、2度目のオリンピックへの挑戦は本当に過酷なものだった。
リオオリンピック後に出場した全日本選手権では百瀬選手(旭化成)に絞技で落とされて一本負け、その後世界選手権代表には選出されたものモチベーションが上がらずのその心理的な不安定さを払拭するため稽古でカバーしようとしてもすぐに息が上がってしまい、なんだか自分の体のようではない。

練習の疲労に回復が追いつかない。
そして挑んだ世界選手権では、まさかの初戦敗退。
緊張してたのか。。。
息が異常に上がる。。。
体が思ったように動かない。。。
大会後、同じような状況が続いた。
病院に行ってみたらそこで伝えられたのは
「オーバートレーニング症候群」
この病気は明確な原因と治療法がわかっておらず、休息しか改善策がなかった。
来る東京オリンピックは待ってくれない。ライバルたちは厳しい稽古を積んでいる。
東京オリンピックへの道はそんな静かな戦いとともに幕を開けた。
一度目のオリンピックを「世界との戦い」と例えると
2度目のオリンピックはまさに「自分との戦い」である。
続く。
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