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【第3回】夢が終わったと思った恐怖の3時間!! 〜シカゴ入国管理事務所で強制送還1歩手前に〜

2021年4月4日(日)朝8:30・・・、シカゴ オヘア国際空港国際線到着ターミナル(通称T5)・・・

一生忘れない恐怖の体験は、普通ならウキウキする海外の到着口が舞台でした。

USと日本を3ヶ月毎に行き来する事ちょうど1年。いつものように羽田から飛んできた私は、飛行機を降り入国審査に向かいました。

その日はコロナで渡航者も少なくスムーズに15分程で通り抜けるはずが、私が差し出したパスポートとコンピュータをながめた屈強そうな入国審査官はたった一言 、

「What were you coming?」 (何しに来た?)」の言葉と共に、私の差し出した招聘状(招待レター)を見る事もなく「Come Here!!(こちらに来い!!)」と、皆の列とは離れ別室に連れて行かれました。そう、入国審査で引っ掛かり、別室に連れて行かれたのです。

全く意味が分かりませんでした。

その部屋にはインド系の方々が約20人、順番に呼ばれパスポートを渡され出て行ったので、最初私も大した事はないとタカをくくっていました。

でも徐々に皆がいなくなる中、私だけ小部屋に呼ばれその入国審査官に質問攻めに合い、質問の意味も分からないまま携帯も没収されました。

その後JALシカゴ支店の方が通訳として助けに入ってくれましたが、私を詰問する審査官も1人から5人に増え「なぜこんなにアメリカに来ているのか?」「アメリカでアパートに住んで車も持っていて道場に通っているようだが、それは仕事ではないのか?」「日本で仕事は何している?」「お前の家は金持ちなのか」など携帯の通信記録も含め、私の事を徹底的に調べられ根掘り葉掘り聞かれた上で、挙句の果てにJALの方に「お前は出ていけ」と部屋から退出させられるまでになり「これはただ事ではない」と真っ青になりました。

その後はたった1人でずっと1時間以上放っておかれました。

その間、頭の中はもうパニックで、「これでアメリカの夢は終わった」と完全にあきらめモード、だってアメリカは一度強制送還になると10年は入国できないのですから・・・。

結局3時間の拘束の上、悪質ではないと判断して頂き「今回限り」の条件で入国を許可されました。

最後はJALの支店長まで駆けつけて頂き、出口で迎えに来てくれた道場オーナーのDougやその息子のTrentに会えた時は半泣き状態・・・。

(審査官に守られ、JALの2人に荷物カートを押してもらって出てきたMegumiは「まるでLady Gagaみたいだ」と笑えない冗談を言われましたが・・・)

実はESTAはあくまで旅行者のためのプログラムで、例え無償でも「労働」行為をしてはいけなかったのです。

また年間182日と言うのもあくまで目安で、全てその時々の入国審査官の判断次第なのです。

実は私が放っておかれた間、審査官は外に出てDougはじめ出迎えの方々に私の事を尋問し、「最後は上司の判断なので恨まないでくれ」と言っていたとの事で、ホントギリギリだったようです。

出口では関係者全員集められ


「次は正規のビザを取って来れば、あなたのように1つの世界で実績のある人をアメリカ合衆国は心から歓迎する」


と映画のようなセリフを言って頂きましたが、内心は疲れと恐怖で心が折れかけていました。
ホント怖かったですから・・・。

この時から、次はもう正規のビザ取得が必須になりました。ビザが取れなければもうアメリカには来れない。窮地に立たされた私は・・・、また次号で報告しますね・・。

道場オーナのDougと息子のTrent!!
この2人が居なければ入国できていなかった~!!
一生の恩人です!!

私を1番慕ってくれるアランサ(7歳)。
こんな子とも会えなくなる・・・。