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【第1回】そこに全てを賭けられる場所があった!! ~私のセカンドライフはここだ~!!~

皆さん初めまして、柔道家の石川慈(めぐみ)です。すでに約4年ほど前に現役を引退したので簡単に自己紹介をすると、9歳で柔道を始め、講道館杯で3回優勝させて頂き(2011年にはあの松本薫さんにも勝たせて頂きました)、

日本代表強化選手として10年間在籍、20年3月に現役を引退し、現在アメリカのシカゴで子供達への指導を通した柔道普及活動に携わっています。今回ACSジャパン様からお話を頂き、アメリカでの

柔道普及奮戦記について、今回から10回シリーズで皆さんに紹介させて頂きます。


 

初回の今回は、

なぜ未開の地アメリカでセカンドライフを賭けようと決意したのかについて書きたいと思います。


私も他の選手同様オリンピックを目指し、それだけに賭けてきた20数年間でした。

All Japanの強化選手として毎月海外を転戦する中、

正直2012年のロンドンオリンピックと2016年のリオオリンピックでは日本代表選手となる可能性がありましたが、残念ながら1階級1人しか選ばれない厳しい代表枠に入れず、また体力的にも選手としてのピークも感じ「セカンドライフはどう生きて行こうか?」と考え始めました。

ちょうどその頃の2018年と19年に、当時の所属企業が初めてアメリカで少女柔道大会を主催するという事で、主将をしていた私は講師として派遣されました。

そこで大きな衝撃を受けました。


約200人のUSキッズが「柔道と言うスポーツを自由に楽しんでいる」じゃありませんか~!!

日本ではクリニック等で、こんな楽しそうに感情を前面に出す子供は稀です。
(言わばみんな真面目に習うって感じ・・・、先生も生徒も・・・、分かりますよね?)


元々遠征を通じて海外に興味があった事もあり「ここには私が思う本来のスポーツの姿がある。この子供たちを柔道を通じて強くしたい。また、日本発祥の武道、スポーツである柔道の価値観を広げ、柔道人口を増やしたい」と思うのに十分な体験でした。
 そして日本に帰国後の2019年の11月、これが最後の試合と決めた講道館杯を終えて所属企業に相談したところから私の奮闘記は始まります「思いと現実は全く違う」壁との闘い、この3年間、何度も奈落に落とされた私の失敗談も隠さず紹介していきますので、


「これから海外に挑戦したい」との思いだけはお持ちの皆さん(特にアスリートの皆さん)は必見、是非ご一読頂ければ幸いです。